イメージ画像:現金屋ヒストリー

現金屋ヒストリー

炭や薪の燃料業でスタート

 明治17年1月に生誕した創業者、高見澤春治(はるじ)は、小学校卒業後、馬方の手伝いなどをしながら働きはじめ、16歳頃には製糸工場へ勤めた。そこで知り合った女性と結婚し、その家の屋号である現金屋を名乗ることとなった。

 佐久市野沢の地には、明治43年に開店し、荒物、日用雑貨、菓子などを商い、同時に出身地の南佐久郡南牧村海ノロにおいては、薪や炭を生産、手広い事業を行っていた。

 現金屋の基礎が確立されたのは、大正12年の関東大震災の頃である。薪や炭、とりわけ燃料としての炭は大変に貴重な物であり東京方面に大量に出荷された。

 当時の炭の生産は、南佐久地方で広く行われており、職人さんたちに必要品を供給し、製品を引き取る形式が通常であり、初代やその子どもたちが一生懸命に働いたのである。

画像:オート三輪
当時、野沢に数台しかなかったオート三輪で配達する現金屋。荷台には蚕のミナガ(蚕の籠に敷くもの)を積んでいる(昭和10年頃)。

「奮励努力」の日々

 以前倉庫を解体した折。「奮励努力」と墨で力強く書かれた文字が柱にあった。そこには相当な覚悟で働いていたことがうかがえる。休日は盆と正月のみ、毎日早朝より夜遅くまで働くことが当たり前の時代であった。

 昭和になると日華事変など、国際情勢が不穏になり、また統制経済がはじまって自由な商いが難しくなってきた。そこで2代目である春治の長男である勇(いさむ)は期するところあって、家族を連れて親戚の種苗会社を手伝いに満州へと向かった。現在、会長である弥(ひろし)は3歳から6歳の幼少時代を満州で過ごした。満州にいる間の野沢での家業は春治と勇の弟たちが切り盛りしていた。

 太平洋戦後の昭和21年、当時のソ連に抑留されていた勇も帰郷、家業に尽力し、昭和26年8月には株式会社となった。

画像:開店25周年
開店25周年時の旧店舗

家具業に転換

 その後は家具、建材、建具、壁材などを扱うようになり、昭和33年、60年と店舗の大改装を行う。また昭和44年には当時の中央名店に「インテリアと絨毯の店」も出店した。

 現在の当主は5代目の高見澤晋(すすむ)社長。東京でのサラリーマン生活を経て、家業を継いだ。高見澤社長は家業の家具店についてこう話す。「単に価格だけの比較では量販店や大手には勝てない。だから大手が得意としないニッチな部分やお客さまの要望にしっかりと、そして素早く応えることが大切です」と。「近頃は結婚しても婚礼ダンスは買わないですからね。それでも必要な家具はありますから」と苦笑した。大手や他社との差別化を如何にしていくかが課題であり、それができるかできないかが淘汰のポイントであると考える。確かに、現在の生活スタイルや住環境といったものは、ひと昔前と比べ大きく変化している。「それでも、永くいいものを使いたいというお客さまもいますから。思っているほど高いものだけでなく、安くていいものも置いてありますよ」

 世の中が安値なものを求める層と高価ではあるが、いいものをという層の二極分化が進んできていると言われる。家具という範疇での商いを考えるとすれば、確かに厳しい環境ではある。佐久の地には高見澤社長はじめ多くの行動力のある若い経営者とその予備軍が育っているようだ。これは、佐久という地にはたくさんの先人たちが脈々と培ってきた「志」という伝統があるように思う。現金屋の代々の商いには今考えると無謀とも思えるようなチャレンジがあった。とても物静かな高見澤社長にも間違いなくそんな祖先の血が流れているわけである。そんな社長の頭の中では何か違った青写真を描き始めているのかも知れない。

画像:現在の現金屋店舗
現在の店舗